スマホの使用は悪なのか?

スマホの使用は悪なのか?

 

 現代の世の中では、ほぼなくてはならない存在となったスマートフォン。小型でポケットに入るサイズであるため、どこへ行くのにも容易に持ち運ぶことができる。さらに、出先での連絡、調べもの、交通手段などスマホを軸とした社会となっている。さて、今となっては一人一台が当たり前となったスマホだが、最近あまりにスマホの定着度が高いことから、依存症という言葉がささやかれるようになった。それだけ便利なスマホがなぜ問題視されるようになったのか?それは少しでも暇な時間があれば、スマホを触る。食事中や何か作業をしている時も常にスマホが取り出せる状況にないと不安になる人が増えてきたからである。ここまでスマホに依存すると、様々な悪影響がでてくる。周囲の変化に気づけない、調べることが前提となっているため、物事を覚える力が低下する、注意力が散漫となり、目の前の作業に集中できないなどといったものだ。

 

 そこで、最近はデジタルデトックス呼ばれる、敢えてネット環境から離れる時間を設けることが大切だと言われるようになった。その効果は、集中力の向上、脳の休息、睡眠の質の向上など多岐に渡る。

 

 ところで、現代人が1日のうち自由に使える時間がおよそ4時間程度だと考えられている。その4時間をどのように使うかで、その人の人生が変わるといっても過言ではない。

 

 しかしながら、私は一概にそのスマホ利用時間を減らせばいいというものではないと考える。目的をもってスマホを使用する場合、有益な使い方であるだろうが、目的もなく一見だらだらとスマホを眺めている場合でも、思いがけず新しい発見を得ることで仕事のアイデアにつながったり、生活を改善する新たな情報を得られる可能性もあるためである。こういった予期しない画期的な発見は自身が目的をもって検索をしている場合にはないものである。しかし、その境目が難しい。だらだらとスマホを使用する時間が無駄ではないとしても、つい時間を忘れ、寝るのが遅くなるなど別のところに悪影響を与える場合が多々ある。そのため、私はスマホの使用時間をとにかく無条件に減らせばいいのではなく、なんらかの基準にのっとった形で使用時間を制限するべきであると考える。

 

 また、有意義な時間の使い方という観点では、理論的には上記の4時間をすべて自己投資の勉強の時間に費やすことが最善であるわけだが、果たしてそんなことが可能だろうか?というのも全て自己投資ということは、仕事中の休憩時間に勉強し、仕事が終わり帰宅し、スーツを脱いだら晩御飯まで勉強。晩御飯を食べ終わったら、休む間もなく風呂に入り、風呂から出たら就寝時間まで全部勉強。短期的にはできたとしても、誰がこんな生活をずっと続けられるのか。スマホを触らない時間を作るのは大切だが、スマホを触らない時間全てが自己投資に変わるわけではない。このような理由からもスマホとその使用者は適切な距離感を保つべきである。

 

結論

 スマホの利用制限について考える場合は、制限することのみに意識を向けるのではなく。その先の制限することによりできた空白の時間で何をするか?にも意識を向けるべきである。できた空白の時間に自分は何をしたのか?を記録しておくことで、その価値を感じることができるかもしれない。例えば、溜まっていた本を読むかもしれないし、昼寝に充てたなら、体・脳の休息の時間に変わる。一人暮らしではないなら、同居人と会話する時間も増えるかもしれない。試験的にスマホを触らない1時間を設けたとして、その1時間ずっと棒立ちしていたり、何をするでもなくロボットのように静止している人はいないはずである(ぼーっと過ごすにしても、そのような頭を使わない時間は瞑想と同様、脳の休息の時間となる)。脱スマホをやり始めて最初の2,3分は暇で苦痛に感じるかもしれないが、次第に視界に入った机の上の置きっぱなしの物が気になり、それをきっかけに部屋の片づけを始めるかもしれない。そのように一度無理やりスマホを触らない時間を作ってみて、自然と生まれる自分の行動を観察してみるといい。そこから、各個人のスマホとの付き合い方・適切な距離感を考えてみるのはどうだろうか。

 

行動を変えると、習慣が変わる。

習慣を変えると、考えが変わる。

考えが変わると、人生が変わる。