自分にとっての目標

 化学は進路が二つに分類されると思う。一つは知的好奇心に従って仕事を進めるもう一つはお金を稼ぐために言われた狭い範囲での実験の依頼をこなすだけの技術を身につけることである。他の業界の仕事であれば他人から学んでそれを実行するだけで仕事が成り立つが、研究職は新規性が必須となる職業であるから学んだあとその知識を持って自分独自の動きをしていかないといけない。

 その考え方を他の分野に持っていくことで人とは違うオリジナリティーをもった活動をし、活躍できると思う。言われたことを実行するだけの仕事の中でも周りの状況を正確につかみとり必要とされているものを見極めて自ら動いていくことは独立して活躍するためには重要であると思う。

 そして、自分の中でその仕事を通してどのようなことを達成したいのかという最終目標をしっかり持っていないといくら周りの状況をつかんだところで自分の方向性が見えてこない。その自分の最終目標とはなんなのか?どの仕事をすることでその目標を達成できるのかを考えていく方がいいと思う。

 

人は生きがいや働く意味を通して自分の存在価値・生きる意味を感じていると思う。そのため、人々はそれぞれの生きる意味となる最終目標を求める。その最終目標は家族を支え、幸せな家庭で過ごすことであったり、人々を笑顔にすることであったり、夢・感動を与えることであったり…。その最終目標をどのような形で実現するのか?という考えをはっきりもたないと、上の人間は目標や生きがいがない人間に対して自分の最終目標を部下に伝えて一緒に目標を達成しないか?指示に従って動いてくれるだけで君にも生きがいや達成感を感じられるだろうから…という目標を提示して指示に従ってもらう関係を作り上げる。しかし、それはあくまで他人から与えられた目標であり自分独自の目標ではない。自分としての最終目標をもたないまま仕事をしていると上からの指示に従うので手がいっぱいになる。

 

化学なら研究を通してどのような形で社会に貢献したいのか?という信念がないと次にどういった研究をするべきかというアイデアが出てこない。上にたって自分の最終目標に向けてこういったことをすれば、面白いんじゃないか?これはウケるんじゃないか?というアイデアが湧いてこない人間はいつまでも上に立てず、人の実現したい夢を手助けする役割で終わってしまう。

 

だから、最近は管理職になりたがらない人が増えているのではないかと思う。自分は仕事のなかでこうしたい!という思いがないのに管理職になると仕事量と責任が増えて苦しいだけのように感じてしまう。自分の最終目標につながる環境で努力しないと働くことの意味を見失ってしまう。例えば、家族の生活を支えて大切な人と円満な家庭を築いていきたいと考えている場合、管理職になればより多くのお金を得ることはできるが、自分が大切にしたいと考えていた家族とのコミュニケーションの時間が減ってしまう不本意な結果を生むから管理職になるというのは魅力的に感じられなくなってしまう。

 

私が化学で研究を仕事にすることで実現したいことは

自分の名前を歴史に残したい?自分の生み出したもので多くの人の生活を豊かにしたい?科学技術で成り立っている日本の経済を科学者として支えたい?自分の発明したものが形になり店で人々の手に取られている様子が見たい?

…どれも私にとってはしっくりこない…。

私は自分に会った人・関わった人を笑顔にしたい。その目標を達成するために、その手段として今色々考え、学んでいる。

 

今、学んでいる化学の知識は普通に生活しているときは決して触れることのない特殊な物質の性質を学び、適切に扱うためのものである。その知識は外で人に会った時には何の役にもたたない限られた環境のみで使える知識である。私が化学を好きになったのは日常にある不思議の原因が気になり、その答えを追い求めることが楽しかったからである。大学で学ぶことが日常とはかけ離れたものになってくるとその興味を失ってしまった。あくまで自分は“知りたかった”のであり、学んだ知識を使い独自に何かを“生み出したかった”のではない。

 

高校のときにやっていた器械体操もいずれは外・人前で技をやって目立ちたかったから床の演技が一番好きだった。こういうのも含めて考えると自分はとても寂しがりやなのかもしれない。誰かに認められたい。一人になりたくないから、自分の近くに人がいてくれるだけでとても嬉しい。そして、自分が多少苦労してでもそばにいてくれる人を笑顔にしてあげたいと考えているのだと思う。だから、今は目の前にいる人を笑顔にし、楽しませることのできる技術・情報なら積極的に身につけようとしている。