人生の効率化

 

何のために仕事をするのか?

 

 自分のしたいことは何なのか?自分のしたいことが達成できる生き方をしないといけない

私たちは仕事のために生きているのではなく、生きていくために仕事をしているのである。その仕事をすることが本当に自分のしたいことに繋がっているのか?仕事をしているうちに、そのうち自分の望みが叶う自分のしたいことがいつかは実現すると思っていてはいつまでたってもその自分の願望が実現することはないと考えておくべきであると思う。自分のしたいことは何なのかをハッキリと決めて、その夢を実現するためには今何をしないといけないのかを具体的に把握しておく必要がある。今自分のしたいことが決まっていない場合は普段から自分のしたいことを我慢せず、自分の気持ちに素直になってしたいことをどんどん実現していく、そしてその先に自分の本当のしたいことが見えてくると思う。普段から自分の願望を我慢して生きていると自分が本当に何をしたいのかが分からない状態に陥ってしまう。まず、自分のしたいこと、興味のあることにどんどん取り組んでいき、できるだけ早い段階で自分の人生でなし遂げたいことを見つけておくことが大切である。

 

 今の時代、みんなしたいことに向かって、どうすれば良いのかを考えながら普段から生活しているはずなので、自分がしたいことを見つけ、それに向かって考え行動していくことは世間からすれば大したことはない。そのためより早く自分のしたいことを見つけ、その夢に向かって行動していくにあたって効率的に生きていくことが重要であると思う。人生の効率を上げるために、普段の生活において、何に時間を使っているのか省けないところはどうすれば一分一秒でも時間を短縮できるのかを常に考えて徹底的に効率化を図っていくことで同じ1日1週間でも、多くの事を経験し、多くのことを考え、成長していくことができるため、同年代の人々より進んだ考えを持つことができるようになるはずである。

音声入力を用いた文章の作成

おはようございます

 

Googleドキュメントの同期ってすごいね!

 

この文章はGoogleドキュメントの音声入力をスマートフォンで行いGoogleドライブを用いてパソコンに同期させています。

 

パソコンへの文章の入力方法としてこれまではパソコンのキーボードのローマ字入力を使っていましたが、音声入力の方がローマ字入力よりかなり入力スピードが早いとの事なので今回初めて使ってみました。まだ、この音声入力に慣れていないのでこれからどんどん使って慣れていきたいと思います。確かに入力スピードはこちらの方がかなり速く文章の作成に係る労力もかなり小さくなるようにように感じます。音声入力と聞いてその認識精度が不安で使ってこなかったわけですが、近年ではその精度がかなり高まってきており、この音声入力では全く煩わしさを感じることなく正しく文字へと変換してくれています。

 

なので、今後の文章の作成およびブログの記事作成は音声入力を用いて行ってきたいと思います。

 

今回は、Googleの音声入力についての投稿となりました。非常に便利で時間短縮にもなるので皆さんもぜひこのGoogleの音声入力をいちど使ってみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

観察力とは

はい、どうも~!たまたんです。

 

今回は観察力について考えていきたいと思います。

観察する力と書いて観察力と書きますが、一体何を観察することを観察力と呼ぶのでしょうか…

 

ここでは観察する対象を自分以外のモノ・コトと致します。

観察するとは簡単に言えば、見るということです。しかし、ただ、自分の目の前に何があるのかをただ見るということではありません。

例えば、街を歩いていてここに看板がある。道路を挟んで向かい側に薬局がある。目の前から人が歩いてくる。

仕事場で同僚が上司と話している。隣の席の人がメールのチェックをしている。

…それで?だからどうしたの?本当に観察って大事なの?ってことになりかねません…。

 

そこで、もう一歩先まで考えてみるとどうでしょう?

前の例のうち前から人が歩いてくるというのを”見た”という例の場合。

前から人が歩いてくる…ぶつからないように少し寄って歩こう。…これも大事なのかもしれません。それだけではなく前から歩いてくる人は何人組?どういった服装をしている?荷物は?歩いていく方向は?などともっと細かいところまで注目してみる。そして、そこから最大限情報を得ようとしてみる。学生のグループで休みの日にこの方向へ歩いて行くということは…あのあたりに買い物に行くのかな?とか持ってる荷物の量から旅行で来ているのかな?とか持ってるものからその人の性格やこれからの用事も推測できる。そこまでの情報を得ることができると観察することの意味が大きなものとなってくると思います。

 

観察とは見ることと似たような意味に聞こえますが、観察力はただ”見る”ことではありません。観察力のある人のことをあの人は良く周りが見えてるよねなどと言ったりもしますが、目の機能はみんな同じはずです。では観察力のある人とない人の差とは一体何なのか?というところからさらに観察力について考えていきましょう。

 

一日一緒に外を歩いてきた二人を比べてみましょう。

観察力がないと言われるAさんに一日の感想を聞くと、「今日は人が多くて疲れたけど、自分の買いたかったものは買えて用事も済ませられてよかった。」と話していました。

一方、Bさんは「今日は二駅先の○○駅でライブがあったみたいで、とても歩いている人が多かった。来週は××デパートで苺のフェアをするみたいだから来週は仕事帰りにそこに寄ってみようと思った。昼間は少し雨が降っていたみたいだけど、帰るころには止んでいて傘を忘れたけど、濡れずに帰れてよかった。」などと多くの情報を得ているわけです。

 

一日中一緒に歩いていたので、Bさんが見た看板や人の服装や持ち物(傘やライブのグッズ)地面の濡れ具合をAさんも物理的には視界に入り見ているはずでした。しかし、Aさんの記憶には残っていませんでした。それは第三者からするとAさんは看板を見ていない。周りの人を見ていない。と表現される訳です。

 

では、どのように観察すれば良いのでしょうか?

ただ”見る”だけではその人にとって重要な情報にはならないため記憶には残りません。記憶に残っていないということは見ていない人と同じ情報量になってしまします。視界に入った情報をどう活かせるかが大事になってきますが、そのポイントとして重要なのはその見ている現象の前後を考えられるかということになってくると思います。

 

その人はどこに向かっている?もしくはどこからここへ歩いてきた?ということはあの方面は混雑しているだろうな。

隣の席の人があの作業をしているということは次にこういう行動をするのだろうな…。

じゃあ、自分は先にこの仕事を済ませておくか…。

コンビニの入り口付近に傘がおいてある…建物内にずっといたから気づかなかったけど、急に雨が降り出したんだろうな。自分もどこかで傘を確保しないと…。

 

などと少し考えを広げてみることで、ただ”見た” ”視界に入った”だけの何でもない情報が自分にとって有益なものとなる。そこまで自分にとって重要な情報となったものは記憶に残る。観察力を鍛えようとしてただ細かいところまで注目してみてみるだけでは何の意味もない情報が増えるだけである。そのため、観察力とはまず見る!そして、その人がその行動をしている意味・その物がそこにある理由など過去・未来まで意識を向けて考えられる力まで含めて観察力であると思う。

 

 

 

したいことの見つけ方

自分のしたいことは一体何だろう?

 これまで自分はこの世の中で活躍していくためには、どのようなことが大切なのかをずっと考えてきた。その考え方はどの分野に行っても重要な普遍的なことであると思う。そこまで考えを進めたところで次に考えるべきことは自分はどのような分野で活躍することを目指すのかを考え、早く実行に移すことが大切である。そうしないとせっかくこれまで考えたことが完全に無駄になってしまう…。

 

上のタイトルに戻るが、では自分のしたいことは一体何だろう?

 それは既に自分の今関心のある事柄、お金や時間を費やしている事柄を考えてみれば見えてくるのではないかと考えた。今は研究室に所属しているが、何時まで研究室に残るのか帰ってからの時間をどのように使うのか?休みの日はどのように過ごすのか?は完全に個人の自由である。そこにその人のその時の興味・関心のある事柄などの個性が現れる気がする。物理的には研究室での研究にさらに役立てるような勉強をすることだってできる。

 

しかし、その人の中での優先順位が低ければ、より優先度の高い事柄に費やすお金や時間はそちらに回されていくため、勉強に時間は最低限しか割くことができなくなる。自由に使える時間にしていること・したいことを考えてみればいいと思う。それが今その人の本当にしたいことであると思う。もし、今会社でしている仕事、大学での研究が本当に自分のしたいことであれば帰宅してからの自由時間もそちらでの活動につながるような行動をとるはずである。しかし、そうでなければ、いかに仕事・研究室に割く時間を短くし、自分の自由時間を多くとるかを考えるようになる。

 

どのように見つけるのか?

 そもそも自分のしたいことなのだから、何がしたいのか考えないといけないのもおかしい。考えないと出てこないようならそれは本当にしたいことではないと思う。それにしたいことなら自分の中での優先順位としてはかなり上位に来るはずである。そういったものなら既に何かの行動に移している可能性が高い。そのため、自分のしたいことは普段の自分の自由な時間をどのように過ごしているのかを思い浮かべてみることが一番の近道ではないかと思う。

 

 それでも、何がしたいのか考えないといけない場合は今は自分にとって本当にやりたいことに出会えていないので、今少し興味があって取り組んでいることに加えて、周囲からいろんな情報を集め次々に新たなことに挑戦してみることが大事であると思う。年齢が上がるにつれて、したいと思ったことを現実のものとすることは困難になってくるためできるだけ早い段階で見つけておくことが重要となるのは言うまでもない事実である。そのため、選り好みせずに短期間でできるだけ多くのことに挑戦してみることが大切である。自分のしたいことは自分の経験したことのある事柄の中からしか選ぶことができないため、挑戦した事柄が少ないとより少ない範囲からしか選ぶことができなくなってしまう。いくつか経験した中から自分のしたいことはなんだろうといつまでも考えていてもその答えが出てくることはないような気がする。考える時間も大切だが、したいことは?と聞かれてすぐに答えられないうちは新しいことにどんどん挑戦してみるべきだと思う。

これまでの活動を踏まえて次のステップへ

 

 これまでは多くの人に会い色んなことに積極的に挑戦していくことで自分の考え方が広がり、自分の成長につなげていけると考え行動してきた。しかし、最近世の中で活躍していくにはどういったことが大切なのかという情報は今の自分にとっては十分に集まってきた気がする。なので、そろそろ次の段階に移っていくべきだと考えている。多くの人の考え方・意見を聞くことは重要であるが、肝心なのはそうして得た情報をどのようにとらえそれを踏まえて自分はどのような行動をとるかである。いくら世の中で活躍していくうえで大切なことが分かったところで行動に移さないと何も情報を持っていない人間と同じになってしまう。

 

 さて、最近の働き方はというと、転職が徐々に一般的になりつつあり、自由な生き方を目指す志向が高まってきているように思う。さらに、単純な仕事が効率化のためどんどん機械化されていっているため上司の指示に従っていれば済むような仕事に就く人は減少傾向にある。機械に置き換わることのない仕事と言えば、単純作業ではなく個人の思考を必要とするような業務である。(情報を集めることは機械には可能。しかし、その集めた情報を踏まえてこれまでにない新たな行動を移すことは人間にしかできない。)

 

 ではなにが必要なのか?――――考えてから行動に移し実現するまでにはどうしても時間がかかるため、今ではなく少し先の未来を予想して、何が必要とされるのか?を考えて実際に行動に移していかないといけない。そのために常にできる限り多くの人と会い、多くの情報をあつめ分析していく必要がある。しかし、情報源がテレビ・新聞のみであったひと昔前とは違いネットが発達した現代では誰でも容易に多くの人・情報を集めることができるためたくさんの情報を持っていることがステータスではなくなってきている。誰もが容易に情報を集めることができるため、どういう行動をとればいいのか考えるまでのハードルが下がっている。ますますそれぞれが自由に生き方を考えることができるようになっている。

 

 以上を踏まえてこれからの世の中で活躍し生き残っていく上では、①集めた情報をどのように分析し、どのような行動につなげればいいのかを考えていける人間であること。が重要でそういった人間が人々の上に立ち生き残っていく。今後は自由な発想を育てる教育に代わっていくというのだから、そういった考え方が大事であるのは間違いないと思う。加えてもう一つ大事なのは②多くの人と良好な関係を築き新しいことを始める際には自分に協力してもらえるよう説得して巻き込んでいけるだけのアピール・プレゼン能力があること。どんな仕事をしようが最終的には人が相手になるし、新しいことをしようとしても人の協力が必要となる。そのため、②の能力がないとせっかく考えたアイデアは行動に移すことができず、実現されることはなくなってしまう。

 

この二つの能力を伸ばすことを意識しつつ、自分の方向性を決めていきたい。

 

人生初のバー体験

 

はい、どうもたまたんです。

 

約一週間ぶりの投稿になりますね。みなさんはお盆休みはどのように過ごされましたか?

 

たまたんは友人に人生初のバーに連れて行ってもらいました。

以前からその友人にはバーを進められていたのですが、一度もバーに訪れたことのない私にとっては勝手がわからずなかなか入りずらい場所でした。

 

しかし、実際に連れられて入ってみると

少し暗めの落ち着いた雰囲気の店内でメニューも各蒸留酒ベースでお酒の種類もたくさんありました。お酒を飲むと言ったら大手の居酒屋さんのみであったため、見たこともないお酒の名前が並ぶメニュー表にどれを注文しようか正直戸惑いました…。

 

その中でもわずかに知っているお酒の中から私は スクリュードライバー を選びました。(スクリュードライバーとはウォッカをオレンジジュースで割ったものです)

 

無事に自分の注文を終えた私は友人と話してお酒をが出てくるのを待つことにしたのですが、すぐに大きなグラスが用意され大きな四角い氷が加えられました。

次に、金属製の盃(道具の専門用語は分かりません…)で透明の液体がグラスに加えられ、最後に赤色の液体が瓶から少し加えてマドラーで軽くかき混ぜられて目の前に差し出されました。文字にするとあまり伝わっていない気がするのですが、バーテンダーによって目の前でお酒がつくられていく様子は美しく思わず見とれてしまいました。

 

その後、ゴールデン街に連れて行ってもらいました。

そこでは隣にいた少し年上のOLさんと友人と私で三人で話しました。その店はバーではないのですが、バーではよくあることのようで、その場に居合わせた見ず知らずの人とと語り合えるのもバー魅力らしいです。

 

その友人のおかげで今後は一人でもバーに入れそうです。

人によっては一生バーに行くことがない人もいると思いますが、お酒好きな方なら是非試してみる価値はあると思います。

 

暑い日が続き、台風も多い今年の夏ですが、健康には気を付けて残りの夏を楽しみましょう!

 

~以上~

自分にとっての目標

 化学は進路が二つに分類されると思う。一つは知的好奇心に従って仕事を進めるもう一つはお金を稼ぐために言われた狭い範囲での実験の依頼をこなすだけの技術を身につけることである。他の業界の仕事であれば他人から学んでそれを実行するだけで仕事が成り立つが、研究職は新規性が必須となる職業であるから学んだあとその知識を持って自分独自の動きをしていかないといけない。

 その考え方を他の分野に持っていくことで人とは違うオリジナリティーをもった活動をし、活躍できると思う。言われたことを実行するだけの仕事の中でも周りの状況を正確につかみとり必要とされているものを見極めて自ら動いていくことは独立して活躍するためには重要であると思う。

 そして、自分の中でその仕事を通してどのようなことを達成したいのかという最終目標をしっかり持っていないといくら周りの状況をつかんだところで自分の方向性が見えてこない。その自分の最終目標とはなんなのか?どの仕事をすることでその目標を達成できるのかを考えていく方がいいと思う。

 

人は生きがいや働く意味を通して自分の存在価値・生きる意味を感じていると思う。そのため、人々はそれぞれの生きる意味となる最終目標を求める。その最終目標は家族を支え、幸せな家庭で過ごすことであったり、人々を笑顔にすることであったり、夢・感動を与えることであったり…。その最終目標をどのような形で実現するのか?という考えをはっきりもたないと、上の人間は目標や生きがいがない人間に対して自分の最終目標を部下に伝えて一緒に目標を達成しないか?指示に従って動いてくれるだけで君にも生きがいや達成感を感じられるだろうから…という目標を提示して指示に従ってもらう関係を作り上げる。しかし、それはあくまで他人から与えられた目標であり自分独自の目標ではない。自分としての最終目標をもたないまま仕事をしていると上からの指示に従うので手がいっぱいになる。

 

化学なら研究を通してどのような形で社会に貢献したいのか?という信念がないと次にどういった研究をするべきかというアイデアが出てこない。上にたって自分の最終目標に向けてこういったことをすれば、面白いんじゃないか?これはウケるんじゃないか?というアイデアが湧いてこない人間はいつまでも上に立てず、人の実現したい夢を手助けする役割で終わってしまう。

 

だから、最近は管理職になりたがらない人が増えているのではないかと思う。自分は仕事のなかでこうしたい!という思いがないのに管理職になると仕事量と責任が増えて苦しいだけのように感じてしまう。自分の最終目標につながる環境で努力しないと働くことの意味を見失ってしまう。例えば、家族の生活を支えて大切な人と円満な家庭を築いていきたいと考えている場合、管理職になればより多くのお金を得ることはできるが、自分が大切にしたいと考えていた家族とのコミュニケーションの時間が減ってしまう不本意な結果を生むから管理職になるというのは魅力的に感じられなくなってしまう。

 

私が化学で研究を仕事にすることで実現したいことは

自分の名前を歴史に残したい?自分の生み出したもので多くの人の生活を豊かにしたい?科学技術で成り立っている日本の経済を科学者として支えたい?自分の発明したものが形になり店で人々の手に取られている様子が見たい?

…どれも私にとってはしっくりこない…。

私は自分に会った人・関わった人を笑顔にしたい。その目標を達成するために、その手段として今色々考え、学んでいる。

 

今、学んでいる化学の知識は普通に生活しているときは決して触れることのない特殊な物質の性質を学び、適切に扱うためのものである。その知識は外で人に会った時には何の役にもたたない限られた環境のみで使える知識である。私が化学を好きになったのは日常にある不思議の原因が気になり、その答えを追い求めることが楽しかったからである。大学で学ぶことが日常とはかけ離れたものになってくるとその興味を失ってしまった。あくまで自分は“知りたかった”のであり、学んだ知識を使い独自に何かを“生み出したかった”のではない。

 

高校のときにやっていた器械体操もいずれは外・人前で技をやって目立ちたかったから床の演技が一番好きだった。こういうのも含めて考えると自分はとても寂しがりやなのかもしれない。誰かに認められたい。一人になりたくないから、自分の近くに人がいてくれるだけでとても嬉しい。そして、自分が多少苦労してでもそばにいてくれる人を笑顔にしてあげたいと考えているのだと思う。だから、今は目の前にいる人を笑顔にし、楽しませることのできる技術・情報なら積極的に身につけようとしている。